最近よく聞くGamificationに対応するいい日本語がないが、ここでは「遊び化」とでもしておこう。ホイジンガのいう「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)は、確かに人間の特徴を良く捉えている。「仕事」と「遊び」、「勉強」と「遊び」のように、生産的活動と対立して考えられることの多い「遊び」を、生産的活動にうまく組込んで活かそう、というのが広い意味での「遊び化」だと私は考えている。この「遊び化」は、拡張現実の話にも関わってくる。
いわゆる「ゲーム」が仮想現実(現実に似た非現実)だとすると、「遊び化」は拡張現実(非現実的要素を拡張した現実)における「非現実的要素の拡張」に対応する。UI(誰でも分かる/使える)や動機付け(報酬/評価)やソーシャル(競争/協調)といった「遊び化」の基本的要素を拡張現実でどう実現するか、という点も面白いテーマではあるが、多くのサービスやアプリケーションが今まさにトライしている領域なのでその進化を見守ることとし、ここでは、「遊び化」(拡張)の対象となる「現実」の側のシナリオについて考えてみる。
「仕事」や「勉強」はもちろん「遊び化」の主な対象ではあるが、その中でも「クラウドソーシング」のような多くの人々を巻込むサービス基盤において、「遊び化」による継続的改善や効率化が役立ちそうだ。例えば、「翻訳サービス」や「語学学習」を考えてみると、「クラウドソーシングによる翻訳サービスを遊び化して、語学学習者のコミュニティを巻込んだ競争/協調により継続的発展を図る」といったより具体的なイメージが沸きやすい。オープンソースソフトウェアやデジタルコンテンツの開発プロジェクトのための協調開発基盤等についても「遊び化」が効率化に役立つ。
「遊び化」の中では、システムが果たす役割のNPC(Non Player Character)化という側面も生じてくる。例えば「翻訳サービス」における「機械翻訳プログラム」のようなもので、これが人間と競い人間により評価される(人間と遊ぶ)ことで、NPC(例えば機械翻訳プログラム)自体の学習や改善というようなサービスにつながる可能性もある(残念ながら、当面のNPCは人を遊ばせ反面教師的な教材になる程度で、マトリックスの世界のようなNPCにはなりそうもないが:)。あるいは、開発基盤自体の開発を「遊び化」することで、例えばNPC(学習するコードジェネレータとか)の自動生成UIを人間が評価して開発基盤自体を改善しながら開発プロジェクトを進める、といった開発スタイル(開発コミュニティ)も広まっていく可能性がある。
こういった「遊び化」がどんなビジネスモデルにつながるかを考える上では、既に「遊び化」が進んでいる金融業界などを見てみると参考になる。金融市場も典型的な拡張現実であり、NPC(自動売買プログラム等)による取引を含めシステムの果たす役割も拡大し続けているが、金融ビジネスにとって最も重要なのは、ゲームと同様、皆が遊べるような「ルール作り」である。結果的に、金融市場のルールは競い合いながら日々進化しており、それに応じて各種の金融ビジネスも栄枯盛衰を繰り返している。ただ、最近の金融市場では「遊び化」よりもグローバル化・自己目的化のためにルールの単一化・複雑化が急速に進み、逆に拡張対象とする「現実」の混乱を増幅してしまっているようにも見える。
本来の「遊び化」のビジネスモデルは、この「ルール」の進化を「多様化」することでもたらされる生態系(人々の暮らし)のバランス(主観的価値)の回復にある。「遊び」のルールを決めるのは、見えざる神の手ではなく自分達だ、ということだ。様々な「サービス」分野に、この「遊び化」のビジネス「ルール」が広がっていくことで、金融を含む既存の「ルール」に対抗するバランスが形作られるだけでなく、金融を補う新たなマーケットの創造が期待できる。
「余剰」から生まれた「遊び」が、これまでも、人類の進化に影響を与え、社会を大きく変えてきた点は興味深い。その意味で、「遊び化」が現実における欠乏や貧困等の問題を情報通信技術が作り出した非現実的な「余剰」によって解決しようという大胆な試みであるとするなら、その先には、仕事ばかりやっている大人達には理解し難い「ゲームばかりやっている子供達」の新しい未来があるのかもしれない。「遊び化」が「現実」をゲームに取り込むことで、現実から引きこもろうとする彼らの目が再び現実に向くようになることを期待したいところではあるが。