道具を人間に役立つように最適化していくということは、究極的には人間の認知構造に基づいて道具を設計し、進化させていくことに他ならない。人間が作るものを支配しているのは、基本的にこの「認知中心設計原理」であり、自然法則は制約条件でしかない。
自然が作ったものは(目的に特化した高度な機構を進化により獲得した生物も多いが)、必ずしも人間の役に立つために存在しているわけではない。しかし、人間が作るもの(例えば道具)は、ほぼその全てが直接的あるいは間接的に人間の役に立つためだけに存在している。それは、人間以外の役にも立つかもしれないが、人間以外にとって全く役に立たなくても(敢えて言えば害をもたらしたとしても)、人間がいる限り存在し続ける。そして、時間の経過と共に、人間にとってより効果的/効率的に役立つように進化していく。この認知中心設計原理は、電子機器やソフトウェアといった高度な道具についても当てはまる。
認知中心設計原理により作られた道具は既に身の回りにたくさんある。例えば、ディスプレイやプリントの「色」は、当たり前のよう3原色の合成により表現されている。ディスプレイやプリントは、色という自然界の物理現象を忠実に記録して再生しているように見えるが、これは人間の(視細胞による)色の認知構造に合わせた最適化であり、昆虫(あるいは人間と異なる視覚を持つ宇宙人)が見た時に実物とは全く異なる色で再現されていて使い物にならなくても問題はない、少なくとも昆虫(や宇宙人)とプリントした紙やディスプレイ越しにコミュニケーションをとる必要にせまられない限り(そもそも宇宙人に目があるかどうかという問題はさて置き)。同様に、音や味や匂いだけでなく机や椅子やキーボードなども認知中心設計原理が強く支配する領域である。
絵画や音楽や料理が(あるいは家や自動車や電話が)宇宙人には理解できなかったとしても仕方ないが、より論理的に感じられる言葉もまた宇宙人には理解し難いものである可能性が高い(人間でも世の中で使われているのに適切に理解できていない言葉はたくさんある:)。実際に宇宙人で確かめることはできないが、もう少し現実的な問題として、例えば、絵画や音楽や料理や言葉をコンピュータで識別させることも同じように難しそうである。これはコンピュータに人間の認知構造をどこまで真似させることができるかという問題であり、チューリングテストに合格するコンピュータを作ることと同様に難しいことではあるが、不可能というわけではない。コンピュータも(自然が作る宇宙人とは違って)人間が作る道具なのだから、認知中心設計原理が働いて人間にとって最適化されれば、いずれ言葉だけでなく音楽や絵画や料理も識別できるようになり、チューリングテストもパスできる可能性が高い。ただし、それはかなり先の「未来」の話にはなるだろう。
より現実的な「現在」の話として、認知中心設計原理について考えてみる。コンピュータが作り出す仮想空間では自然法則が働いているわけではない。とはいえ、人間の認知構造が自然界を対象として進化してきたものである以上、仮想空間を人間にとって最適化しようとすると、仮想空間を構成する法則も自然法則に近付いていくことになる。その意味で、自然を手本に新しい道具を考える方法もある程度有効ではある。ただし、仮想空間の法則が近付いていく究極的なゴールは自然法則ではなく、人間の認知法則であることには注意する必要がある。特に、自然法則と認知法則の差が大きい場合には、両者の違いを意識して道具の進化の方向を考えなければならないだろう。そういった領域の一つに、「時間」の認知構造に関わる道具の世界があるように思う。
物理的な現象としての「時間」も非常に興味深いが、認知的な意味での「時間」はさらに興味深い。例えば、物理的な「同時」の定義は、宇宙全体で見ると今後の物理学の発展により多少の修正が必要になったとしても、地球上ではほぼ(かなり正確な近似により)定義できていると言ってよい。これに対し、認知的な「同時」の定義は、地球上どころか一人の人間だけに限定してもかなり不正確である。物理的には(少なくとも地球上くらいの範囲では)時間は実数集合で表現できると思ってよく、全順序関係も容易に定義できる。しかし、認知的には(一人の人間だけに限定しても)時間のごく一部にあやふやな(因果関係のような意識的な?)半順序関係を定義できると期待するくらいが精々だろう。
「時間」の認知的な構造を考えてもあまり意味が無いと思うかもしれないが(確かに、TwitterのTLをどう見せるかに役立つだけではあまり意味が無いともいえるが:)、人間の生産性の大部分が「時間」に依存している(認知的な時間の流れが加速しつつある)この現代社会においては、システム等の道具において認知的な時間をどう活用できるかが生産性を大きく左右することになる。「時間の認知的なモデル化」には大きな可能性があり、それによって「様々な人々の間での認知的な時間軸変換」が可能になれば、コミュニケーション効率も飛躍的に向上するだろう。これを具体化するための一つのアプローチとして、「拡張現実」を入口にすることができると考えているのだが、これについてはまた機会があれば説明してみたいと思う。