久々の更新です。会社ではなく社長のブログという位置付けに変わったこともあり、考えたことを気軽に(時々ですが:)書く予定です。というわけで、最近感じるのは、ネットで増える個人の情報発信が、多数決とはちょっと違う民主主義を作る力になろうとしているのではないか、ということです。

これまで、いわゆる「マスコミ」が民主主義の中で果たしていた役割は、基本的に多数決をベースにしたものだったと思います。それに対して、Web上での情報発信は少数意見を拡大するという新たな役割を担い始めています。

不特定多数の人々に同じ情報を伝えるというマスコミュニケーションは、情報非対称性活用の観点から見れば、情報受信者に何ら優位性が生じません。誰もが知っている情報を得て嬉しいと感じるのは過去の話であり、得られた情報から差異が生じなければその価値は限りなくゼロに近づくのが情報過多社会の宿命であるように思います。

その一方で、電話や手紙(や電子メール)のようなプライベートコミュニケーションでは、そもそも相手を知っていない限り情報が伝わらず、伝えたい内容によって情報の伝達対象範囲を細かく制御することもできないため、情報発信者や情報受信者の意図に沿って情報非対称性を管理したり活用したりすることは困難です。

というわけで、情報非対称性を管理し活用するための様々な手段の提供が、今のWeb上のサービス進化(SNSとかTwitterとか)の方向性であるように感じるわけです。実際に、情報非対称性の管理・活用が可能になると、民主主義が単純な多数決ではなく、Googleのページランクのような情報価値の重み付き多数決に変わるわけですが、私はこの将来の情報流通のあり方を、勝手に「ダイナミックコミュニケーション」と呼んでいます。これは、情報自体が持つ自律的な力学構造(ダイナミクス)により情報の伝達が制御されるコミュニケーション、ということです。より分かりにくくいうと、情報力学的な非平衡状態を持続可能とするコミュニケーション手段を活用して、開放系の中で行われる生命活動と同様に局所的なエントロピーを減少させるプロセスとしてのコミュニケーション、という感じでしょうか:)

ダイナミックコミュニケーションを実現するには、価値の流れを可視化する貨幣と同様に、価値のある情報の流れを可視化する何らかの手段(情報貨幣)が必要になるのではないかと思っています。情報貨幣自体は客観的尺度として表現できるはずなのですが、通常の貨幣と異なり多次元的な尺度であって、その値を1次元軸上で表現する(値により順序付けて並べる)ことはできないものになるでしょう(1次元軸上に並べるためには各人による主観・客観価値変換が必要となるような感じです)。その価値変換を可能にすること(つまり情報を従来でいうところの「お金」に変換すること)がWebの目指している世界なのかもしれませんし、同時に、様々な価値軸への変換を可能にする情報貨幣そのものが少数意見を尊重する未来の民主主義の基本原理になるのかもしれません。

というわけで、続きは、またそのうちに。